ボックスのこと
- Kai Syoujikimonono
- 2023年3月5日
- 読了時間: 4分
京都産業大学公認の演劇部ですから大学構内にクラブボックスというものがありました。
構内でも奥の上の方、外国語学部とかあったらへんでした。
緑の芝(といっても多分人工芝だったとおもう)の広場。「ピロティー」と呼ばせたい(誰もそんなふうに思っていない)校舎と校舎の間の広めのスペースに簡単な野外ステージがあって、その広場に隣接する建物が私らの「基地」でした。二階が職員食堂でその上、3〜5階ぐらいが大学公認の部のボックスになっていたように記憶しています。職員食堂は多分時間帯で区切っていて学生も何時か以降は入れたんでしょう。他の食堂よりは価格帯が高めなんですが「唐揚げの甘酢あんかけ定食」がすんごく美味しかったのを今、思い出した!
我らの劇団ACTのボックスは、でもじつは「ACT占有のボックス」ではなかったのです。多分八〜十畳ぐらいのそれほど広くないスペースでしたが、僕の頃には文芸部さんとの同居、ルームシェアをしていました。建物自体にそれほどスペースがなかったんでしょうね。他にもそういう「二つの部活で一つのボックス」というケースがあったのかどうかわかりませんが、なんせうちらはそうでした。文芸部さんもそれほどたくさん部員がいらっしゃるわけではなかったように思います。すくなくとも大学側からすれば「演劇部と文芸部は弱小部」だったんでしょうね。ボックスにタムロしているのは大概ACTの人間で、文芸部の方は時々顔を合わせる程度だったんじゃないかなぁ…。
ボックスの天井や壁には、昔の代のお芝居のポスターやビラが貼られていて、これとかすごい記憶に残っています。

このポスターの横でむっちゃ笑ってらっしゃるのは、おそらく若き日の伴戸さんでしょうかね…。ポスターに映っていらっしゃる先輩たちにももちろん僕は面識はありませんが、映ってる小道具のライフルは多分、ボックスに残っていたような気もします。
そう、これまでのお芝居で使われた小道具やらカツラやらもボックスにあった気がします。あと舞台写真などのアルバムや、ビデオ。ちょうど僕の頃から少し前にハンディーカムというようなビデオカメラの民生機が出始めで、それでとったものや、でもVHSが多かったかなぁ。(ベータが滅んだ頃です)
そのた多分照明音響機材も突っ込んでたんだろうと思う。うちらのごちゃごちゃしたものも置かれてるボックスに、文芸部さんの本棚もきちんとあって「ちゃんと片付けろよ」って怒られたように覚えています。だからそんな馬鹿みたいに乱雑ではなかった、僕の代の頃は…ドアを開けると、正面に窓があって、壁に文芸部さんの本棚とうちらの収納。部屋の真ん中に広めの机と椅子。多分詰めたら6人ぐらいは座れたんじゃないかな?
大体いつも机の上に置かれてるA4ノートは「ACTノート」です。
ACTノートというのは、「書き込み自由の雑記帳」というものでした。あのペンションとかにあるような?夕方以降は部活で顔を合わせますから業務連絡とかではなく、見に行ったお芝居の感想だとか、バイトのぐちだとか、進路や人生についてだとか(笑)、イラストだとか…。今でいうブログとかツイッターのようなものですかね、クローズドの。文芸部の人も目を通してくれてちょいちょいコメントしてくれたりしてました。それは何冊もあって、部員であれば閲覧は自由ですから、ノートを開けば何年も前の代の先輩の「つぶやき」や「叫び」を聞くことができました。何にも覚えてないですけど…。
伴戸さんはACTノートを覚えていらっしゃいましたので、きっと伴戸さんのささやきとかもかいてあったんでしょうね…。僕それを読んでたかもしれませんね…。
その後BOXは移転しました。助川さんの代(僕より四つ下)の頃に、京都産業大学が「領地」を拡大したんです。道挟んで向こう側の土地も買収し開墾してたくさん建物を立てました。そのときにボックス棟もできてそっちに移転したんですね。僕はそっちに行ってからはほとんどわかりません。一度だけ公園でACTの照明機材を借りてそれを借りに行くか返却しに行くかで行っただけです。おそらくはその引っ越しの時に捨ててしまったんだろうと思われるのですが…。
誰か行方を知らないですかね?ACTノート。大学時代の僕の演劇論とかがぎゅうぎゅう詰めに書いてあるので、燃やしてくれてたらいいのですが(笑)
Comments